日  記

某ケンノートを再び

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午前中は矩計図を書き始めて、午後は携帯の契約変更に。

使っていた携帯がかなりいかれてきたのでこの機会にスマフォ化。docomo版iPhoneは出なさそうだし、乗り換えるのも面倒なのでよくわからないままXiのGALAXYSⅡLTEに。
いろいろ遊ぶ時期のピークを外したのでそれほどワクワク感はないけど、SNSやメールのチェック、地図関係は便利そう。 ぼちぼち使っていこう。

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昨日書きかけた、間取り作成フリーソフトの功罪、というか、建築を「間取り」から考えることへの危機感について。

一般的に言われる「間取り」によるパズルは計画を誰でも行えるように簡略化されたそれこそフリーソフトのような存在になってしまっているように思う。また、例えばプロとして住宅を計画している人の多くもこの「間取りのパズル」を解くことが計画の主幹をなし、例えば外観はそれに対して添え物のように後付で考えられることが多い。

外観を間取りとの関係性でバランスを見ながら並行して計画しているとしても「間取りのパズル」を解くことが主軸になっていることには変わりない。

これのどこがいけないのか、またどうすれば避けられるのかはまだ言語化出来ていないのでこれから考えていきたいところなのだけど、ごく個人的な感覚で行くと「間取りのパズル」を解くだけではうまくいかない、というのは確かに感じている。

何がどううまくいっていないのか、うまくいったものとうまくいっていないものの違いは何なのか、そこから言語化する必要があるように思うけれども、まずそ感覚的なところを言葉にしてみると、なんというか、空間とそこでの生活が死んでしまっているように感じる。

もちろん「間取りのパズル」をうまく説いててなおかつ活きた空間というのもあるけれども、活きた空間が必ずしも「間取りのパズル」を解いたものではないと感じることも多いし、「間取りのパズル」が空間を殺していると思うことはよくある。逆に「間取りのパズル」を解かないことが空間を生かしていることもある。

ただ、「間取りのパズル」を解くことは素人でもできて理解しやすいし、一般向けの住宅雑誌はせっせとパズルを解くコツを教えこんだりしてるもんだから、施主はそういうものに流されやすい。それは何日か前に書いた「正しさ」のようなものとして空間を殺すのかもしれないし、空間を活かす要素はおそらくその時に書いた「自由」のようなものだという予感があるので、可能的様態や今まで考えてきたことを絡めて言語化できれば、そして出来る事なら施主に伝えられるような簡単な言葉にまでできればいいなと思っている。そこまでやっても多分共感できる人はできる、できない人はできない、と言うことになるんだろうけど、共感できるはずの人が気づかないまま「正しさ」だけで家を建ててしまうのはもったいない気がする。また、不自由な正しさで規正してしまうような空間をつくるのは仕事としても結構辛い。

と、まだ自分でもよくわかってないんだけど、無理矢理にまとめてしまいそうなので、しばらくはだらだらと考えてみようと思う。