日  記

某ケンノートを再び

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不意に日記を再開しよう、と思った。

続かないのは分かってる。

でも、くだらないことも含めて、適当に書く場所があっても良いのではないだろうか。

 

 

最近仕事がはかどらん。理由の一つは禁煙、もう一つは家庭の事情。
どちらも避けようがない。だけど、どうにかするしかない。

テンションを上げるにはどうするか、いろいろ考えるけど、書くことが一番だったりする。


仕事はテンションがあがらないなりに進む。それでもそれなりの仕事にはなる。
だけど、そこから先になかなか進めない。

それでカードなんぞを作ってみた。

これは一旦立ち止まって考えるための道具にならないかと思っている。

人と会話をする。相手の話を聞き、しばらく自分の中で言葉を探す。その先に何かしら言葉を発見する。この時、けっこう頭は回転してる実感がある。

仕事で案を考える。それなりに考えて、頭は回転する。
だけど、人との会話の時に感じるような回転ではないし、発見はあまりない。

同じようなパズルを解いてはいても、そこに新しい問いはない。
問いを生み出すことがなかなかできない。

一旦立ち止まって、自分に問いを投げかけ、何かしら言葉を発見するまでしばらく考える。
それを仕事のプロセスでも密度よく回転させないとやばい、という気がしている。
しかし、この視点は上手く行けばかなり設計を変えうる、今まで足りてなかったところに届きうるのでは、という気もしている。


子供のことを考える。

きっと今の状況はそんなによくない。

これをどうするか、というのは仕事よりもずっと難問だ。

じっと待つしかない気もする。うまくいくイメージをいくらもっても届かない。

いつか変わるんだろうか。
ここでも問の出し方に問題があるんだろうか。
人には言葉で伝える、ということができると思ってたけど、たぶんそうではない。

相手に受け入れる準備ができていないと言葉は意味を成さない。

 

あと五ヶ月、僕の精神が持つだろうか。その後は状況が変わるだろうか。

絶望的な気持ちになるけれども、僕は絶望してはならない。
希望を見なければいけない。
希望のために何でもしよう。明るくこなそう。
新しい笑顔がきっと産まれてくるはずだ。

それで彼女は変わるだろうか。彼女自身が乗り越えるしかない領域がある、ということがどうしても理解できないのはなぜだろうか。
それは乗り越えた経験を今まで与えてもらえなかったからだと思う。

仕事は頑張ろう。それは信頼してくれたクライアントのために。

でも仕事だけに生きるのはやめて軌道修正をしよう。

子どもたちのために必至に生きよう。

そのために彼女のために必至に生きよう。
それが届くのを今は信じるしかない。
それがいつまでも届かなければ、決断も必要かもしれない。

息子は変わるだろうか。

どうしたら変わることができるだろうか。
息子に罪はない。今のままでも十分だ。

だけど変わらなければ息子自身がつらくなる。
そのために何ができるだろか。
まずは話をしよう。
僕だけは否定しないようにしよう。

息子には自分をもっと好きになってもらいたい。

もっと息子の気持ちになってみよう。

僕が息子ならどうすれば変わるだろうか。

あー、直球じゃだめだな。僕だって変わらなかったのに子供が何か言われたからと変わるわけがない。
直球ではなく、違う選択肢を与えて、それをしてたら変わってた、ということを考えるしかない。

これは瞬間瞬間の置き換えの勝負だな。ある選択肢を選ぶ前に違う魅力的な選択肢を与える。
絶えず頭をマックスで回転させないと。
できるかな。
やるしかないかな。

やってみて、また考えよう。

あー、くだらないこと書こうと思ってたのに。
僕もたまには逃げ場がいるかもなー。