日  記

某ケンノートを再び

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あいかわらずコンディションは悪め。すっきりしない日々が続く。

午前中は暇を見てFKPの内部共有資料作成(手書き)。受け皿として残り続けるために何が出来るか。これまでもずっと手探りだったけれども、これからも手探り。3年間は続けようといろいろな人の協力あって進めてきた活動。少なくとも3年間は責任をもって続けたい。気持ちだけで始まり気持ちだけでまわってきたような活動だけど、皆それぞれの生活がある中で気持ちを一定に保ち続けることは簡単ではないし、強制されるものでもない。扱っているのはやっぱり気持ち。メンバーの気持ちの部分は100%信頼出来る。どんなに仕組みを考えても最後はこれまで同様みんなで手探りを続けるしかあるまい。

最初にラインとして設けた、3年間続けることの意義はなんだろうか。3年続けたことで被災地、もしくは鹿児島の人々、もしくは自分自身に伝えられるメッセージはなんだろうか。もしくは3年間続けずに途中でやめてしまったとしたらそれはどんなメッセージ性を帯びるだろうか。そんなことを、ぼんやりとイメージすることがある。どちらかと言うとやめてしまった時の負のメッセージ性について考える。「あんなこと言って途中で辞めてるじゃん」みたいな中傷があったとしても、メンバーの選択の結果であれば気にならないだろう。だけど、こういう活動が日常により添えなかったという事実を作ることが将来の何らかの可能性に対して負のメッセージ性を帯びることが心配。

3年続けたとしても、それほどダイナミックな感動が待っているわけではないだろう。全体の活動をそこで終えるとしたら、「お疲れ様でした」という感じで普通に日常に戻っていくような気がする。

淡々とした日常の中で淡々と3年間続けたこと。その事実が、初めて被災地の困難な日常により添えたという実感をほんの僅かでも呼び起こしてくれそうな気がするし、ほんの僅かに距離を縮める役割を果たしそうな気がする。

3年後の事実に対しての責任。そんなイメージが気持ちを強くしないだろうか。

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午後からはプランを平詳レベルで起こし構造等との整合性をとりながら調整していく作業。やっぱり「間取り」という制約からは制約しか生まれないという感触がある。

フリーの間取り作成ソフトの功罪について嫁と話す。「間取り」から入ることの危険性は素人、プロ問わずにあるように思う。

僕が今の選択肢なら「どこに住んでも同じだからどこに住んでも構わない」と自分の住む環境には全くこだわりがないこととも関係があると思うけれども、その辺についてはまた別の機会に。