notitle
某たこ焼き屋とのサッカーの会話でヒントを得る。
彼女はまだ時間が掛かるにしても、まずは子どもたちに環境の中に自己を位置づける感覚、もっと進めて環境を身体化するような感覚を身につけて言って貰う必要がありそう。
これはそれぞれの人生を生きていく上でも重要なスキルだと思う。
そして、そのためにお手伝いのシステム化、言い換えると、家庭を一つのチームとして捉え、個々が自己に対する視点だけでなく、チームの一員として動くことを身体化させるような戦略にお手伝いを配置する、ということが必要だという結論にたっした。
たこやきを食べに行った結果。
監督兼プレイヤーとしてどう振る舞うかは今後の課題だけど、ほんの少し光が見えてきた気がする。
そこにリソースを割くためには当然仕事の密度を上げていく必要がある。
とりあえず、今考えるべきことをプロジェクトごとに書き出してみよう。
1)W邸
まずは明日の撮影と施主・設計検査。
撮影は集中を切らさずしつこく撮ることが大切。気を抜かずにいこう。
施主検査。完璧とは言えないけれども、金額を考えるとよくここまで出来たというところ。それはクライアントもある程度理解して下さっている。明日は、ここは仕方あるまい、というところとここはなんとかして欲しいと言うことをきちんと見極めよう。
引き渡しまで気を引き締めて。最後ポスト・表札の取り付け方を考えねば。
(2)Y邸
現場をお待たせして申し訳ない。
今のうちに他のプロジェクトを進めて、現場では気合を入れ直して、解像度よく現場を見ながら進めたい。
できることと出来ないこともあるだろうけど、少ししつこいくらいに考えるクセをもっとつけたい。
できれば最後には手を動かす余裕を残しておきたいところ。
(3)N邸
とりあえずは20日に現場を確認しよう。問題なければそれで良し。一段落かな。
その前に完了検査の準備をしておく必要あり。
(4)K邸
設計図を12月中に仕上げる。といっても12月はあっという間に過ぎそう。
必要な日数と計画をしっかりしておく必要がある。
予算的にはどうなるだろうか。若干厳しい気もするけれども。
仕上げおよびDIYで凌ぐしかないかな。DIY、どうせやるなら精度を高めたいところ。
(5)H邸
要望をもとに再プランを投げる必要あり。次は割りと軽めにプランをつくって投げてみる感じ。
しかし、今週中には投げておきたいところ。
月曜に撮影まで上手く行けば、火曜・水曜をそれに当てよう。
まだ時間があるけど、密度を上げつつ共感を積み重ねていくのは難易度が少し高そう。
しかし、密度を上げていくということは是非ともやってみたい。
コストをどのくらいで考えるか、というのは難しいところ。
(6)I邸
まずは明日の現場でリアクション待ち。
3月くらいには図面完成させたい。1月まではプランを練れる。
ここも密度を上げたい。そして、気持ちに応えたい。
(7)SC
とりあえず図面は投げたので、1月中旬までは大丈夫、かな。
年明け早々確認申請の事前相談を内容検討も含めまる1日は明けておきたい。
(8)M事務所
2月までにまとめるの可能だと思うけれども早めに金額を押さえておきたい。
10日に打ち合わせなので、その前に事前準備が必要。
8,9でやるか。
プランの可能性とできれば契約書。あとは現場調査の準備。
(9)A小跡
12から14までは秋田。その前に調査用のプロットをつくる必要あり。梅マラソンしてる場合ではないが、10日の午後からかな。
来週の予定をまとめると、
5日(月) W邸/撮影・施主設計検査。
6日(火) H邸/プラン
7日(水) H邸/プラン
8日(木) W邸/引き渡し N邸/検査書類作成
9日(金) M事務所/打ち合わせ準備
10日(土) M事務所/打ち合わせ A小跡/資料作成・出張準備
11日(日) 梅マラソン A小跡/資料作成・出張準備
夜の部は全てK邸/実施図作成
という感じかな。なんとか乗り切れそうだけど、重要なのは設計密度を上げること。
気合を入れていこう。
なんだかんだで9件+家庭は結構ハードだな。
これを楽しむ気持ちの切り替えが出来なきゃ乗り越えられないぞ。
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不意に日記を再開しよう、と思った。
続かないのは分かってる。
でも、くだらないことも含めて、適当に書く場所があっても良いのではないだろうか。
最近仕事がはかどらん。理由の一つは禁煙、もう一つは家庭の事情。
どちらも避けようがない。だけど、どうにかするしかない。
テンションを上げるにはどうするか、いろいろ考えるけど、書くことが一番だったりする。
仕事はテンションがあがらないなりに進む。それでもそれなりの仕事にはなる。
だけど、そこから先になかなか進めない。
それでカードなんぞを作ってみた。
これは一旦立ち止まって考えるための道具にならないかと思っている。
人と会話をする。相手の話を聞き、しばらく自分の中で言葉を探す。その先に何かしら言葉を発見する。この時、けっこう頭は回転してる実感がある。
仕事で案を考える。それなりに考えて、頭は回転する。
だけど、人との会話の時に感じるような回転ではないし、発見はあまりない。
同じようなパズルを解いてはいても、そこに新しい問いはない。
問いを生み出すことがなかなかできない。
一旦立ち止まって、自分に問いを投げかけ、何かしら言葉を発見するまでしばらく考える。
それを仕事のプロセスでも密度よく回転させないとやばい、という気がしている。
しかし、この視点は上手く行けばかなり設計を変えうる、今まで足りてなかったところに届きうるのでは、という気もしている。
子供のことを考える。
きっと今の状況はそんなによくない。
これをどうするか、というのは仕事よりもずっと難問だ。
じっと待つしかない気もする。うまくいくイメージをいくらもっても届かない。
いつか変わるんだろうか。
ここでも問の出し方に問題があるんだろうか。
人には言葉で伝える、ということができると思ってたけど、たぶんそうではない。
相手に受け入れる準備ができていないと言葉は意味を成さない。
あと五ヶ月、僕の精神が持つだろうか。その後は状況が変わるだろうか。
絶望的な気持ちになるけれども、僕は絶望してはならない。
希望を見なければいけない。
希望のために何でもしよう。明るくこなそう。
新しい笑顔がきっと産まれてくるはずだ。
それで彼女は変わるだろうか。彼女自身が乗り越えるしかない領域がある、ということがどうしても理解できないのはなぜだろうか。
それは乗り越えた経験を今まで与えてもらえなかったからだと思う。
仕事は頑張ろう。それは信頼してくれたクライアントのために。
でも仕事だけに生きるのはやめて軌道修正をしよう。
子どもたちのために必至に生きよう。
そのために彼女のために必至に生きよう。
それが届くのを今は信じるしかない。
それがいつまでも届かなければ、決断も必要かもしれない。
息子は変わるだろうか。
どうしたら変わることができるだろうか。
息子に罪はない。今のままでも十分だ。
だけど変わらなければ息子自身がつらくなる。
そのために何ができるだろか。
まずは話をしよう。
僕だけは否定しないようにしよう。
息子には自分をもっと好きになってもらいたい。
もっと息子の気持ちになってみよう。
僕が息子ならどうすれば変わるだろうか。
あー、直球じゃだめだな。僕だって変わらなかったのに子供が何か言われたからと変わるわけがない。
直球ではなく、違う選択肢を与えて、それをしてたら変わってた、ということを考えるしかない。
これは瞬間瞬間の置き換えの勝負だな。ある選択肢を選ぶ前に違う魅力的な選択肢を与える。
絶えず頭をマックスで回転させないと。
できるかな。
やるしかないかな。
やってみて、また考えよう。
あー、くだらないこと書こうと思ってたのに。
僕もたまには逃げ場がいるかもなー。
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twitterやfacebookや職場のブログは似つかわしくないということでこちらの日記を再開してみる。
「今日は日本における平和という言葉が正義と同程度に信用出来ない言葉になった日だな。ヘイワ記念日。」とtwitter等に書いた。
平和安全法制(平和安全法制整備法、国際平和支援法)、平和のためだそうだけど、先の大戦を通じて人類が平和のために手にした小さな種を手放すことにならないか。
なんにせよ戦争の可能性やそれを引き起こそうとする力はいつ、どこにでもある。小さな種と引き替えにした抑止力もその力の一つだと思う。
力は力を呼んでやがて大きなうねりとなる。そのうねりとは反対の方向を向いた小さな種を手放して良いものだろうか。
戦争が平和と同義になり、正義と同義になるのであれば、行き着く先は目に見えているではないか。
こちらが力を持つ。それに対して相手が力を持つ。それに対して不安が煽られる。あちらでも不安が煽られる。そのうねりをどうして止められようか。
震災後の原発事故で分かったことは、空気は簡単につくられる。そして、冷静に考えればそんなおかしなことは、ということがおかしなことではなくなる。
あれだけの事故があり解決もしていなければ責任もとっていない。構造も変わらないどころか、より巧妙な構造になっているにもかかわらずたかが原発すら止められない。
その人々がいざ臨戦態勢となって生命に関わる不安をもとに空気がつくられたとしたらどうなるだろうか。多くの人は戦争なんて起こらないと思っているだろう。逆に平和ボケだと抑止力を叫ぶ人もいるだろう。
しかし、それこそ平和ボケだとしか思えない。力による抑止力を心配する前に、自らの抑止力を心配したらどうだろうか。
個人として歯止めを聞かせるための姿勢と、集団としての空気の扱いの術のようなものを発明しないといけないと強く思う。残念ながら今のデモだけでは届くべきところに届かないどころか利用可能な空気として扱われかねない。(空気を分断させようと思えば簡単。デモに対向するのではなくて、デモ側に入って奇抜な行動やいくつものグラデーションでデマを撒き散らせばいいんだから。そしてそのノウハウと確信は確実に積み重ねられてると思う。空気なんてちょろいと。デモのうねりが一線を超えればあるいは、と期待もしたくなるけれど・・・)
書きたいことはいくらでもある。
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久々に更新。
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FBでM山さんに貴重な意見を頂く。
プリントして読み返してみるとほとんど贅肉がなく一言一句筋道立てて書いていただいている。自分のことを考えるのは人のことを考えるようになぜか出来ないので大変ありがたい。
ちょっとそれをなぞるような形でいろいろとこちらにメモしていこう。
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店舗の現場は毎日顔を出しているけれども、オーナーと話をしながら日々変わっていく。それに対しての対応は段取り的にタイムロスも大きな判断ミスも許されないので緊張が続く。あと少し。がんばろう。
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さて梅雨も開けたしやらねばだ。
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FKPもずっと気にかかって入るけれども今は各々充電期間という感じでいいのかもな。9月までには今の状況、始めた頃の自分に対する態度、その他整理して再出発するための源が何かを見極めないといけないかもしれない。リスタートには多分それなりのエネルギーと道筋が必要だろう。それも含めてNやんと一回飲みに行かねば。
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ここのところ店舗内装の検討を続ける。
鹿児島で木と鉄を使ったシンプルな家具を作られてる方が今回の要望にピッタリだったので打ち合わせに。
小さな改装で予算も限られているので建築的な面白さを出すのはなかなか難しい。そういう建築的なところは割りと得意な方だと思うけれどもいわゆるインテリアというのはそれほど得意な方ではない。
建築工事の方では出来るだけ要素を絞ってシンプルにまとめ、ちょっとした色気の部分はある程度家具に任せる方向でいこうと思う。ただ、その色気を引き出すには建築にも相応のものが必要で辺にきれいになり過ぎないように現場では瞬時の判断を求められることが多くなりそう。そこで間違わないためにも今のうちにパースや模型で出来るだけイメージを近づけておく。
問題は予算配分がうまくいくかどうかだな。あるていど予備費を見込めれば現場での対応もしやすいがかつかつだとどうしても尻込みしてしまう。最後は自分たちで手を動かすことも頭の片隅に置いておいたほうがいいかもしれない。
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フエイスブックでは知事選絡みの投稿がちらほら。僕も投稿したけれども、SNSで政治の話を書くのは結構難しい。原発の話は情報が錯綜していて接する情報によって大きく意見が影響される。正確な情報(例えば原発・放射能はどの程度安全・危険なのか、適正な必要電力量や正確な発電コスト)があればこれほど対立することもないだろうし、確信できる情報がないために態度があいまいになっている人も多いと思う。なので、原発の話を書く時は正確な情報がない、との前提の上で一歩引いて出来るだけのっかりやすい意見を書くようにしてる。気持ちの上ではもっと書きたいこともあるけれども、デマと言われて対立してもあまり前には進まない。
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スマートフォンにしたらSNSの書き込みが増えるかと思ったら、情報の取り込みには便利すぎても書き込みが面倒でインプットに偏ってきた。RSSとかtumblrとか読むのめっちゃ楽ちんなの今日気づいた。
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そろそろ次の仕事のこと考えないといけないなー。基本やることやって待つしかないと思うのだけどもそうとばかりも言ってられない。何か仕込むのか、下請け請けるのか、別の収入源を確保するのか、それとももう少し粘って待つのか。去年のストックが若干あるうちに考えないと。
同業者に聞いても大抵はなぜか何とか続いてる、みたいな答えが多い。年度末に若干波に乗りそうな気配があったのに乗れなかったのは痛かったかも。波こねーかなー波。
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比喩ではなくてほんとの梅雨明けはいつぐらいだろう。梅雨はほんま苦手。ピーカンこねーかな。ピーカン。
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6/15,16,17と大阪に行ってきた。
気を許せる昔の友人やお世話になった人と会って久々にリフレッシュ。
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6/15 飛行機が少し遅れて4時ころに京橋に到着。新婦のお父さん(以後おっちゃん)と待ち合わせる。ちょうど沖縄からおばさんが来るとのことで一緒に待ち、到着後ホテルの喫茶店で3人で雑談。昔写真を見せてもらったことがあるおばさんでとても感じの良い人だった。その後おっちゃんと焼肉屋へ。塾をしてるおっちゃんの教え子家族(僕の一つ上)も合流。昔話やら何やらで過ごす。おっちゃんはたくさんの教え子に慕われてるのは知ってたけど、一緒に話してみておっちゃんが積み上げてきたものの豊かさに羨ましくもなる。新婦の兄が来る予定だったけど仕事の都合で来れずに残念。いろいろ問い詰めたいことがあったんやけど。11時頃お開きでおっちゃんと二人で自宅へ。おっちゃんのお母さんが寝てたのですぐに就寝。
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6/16 8時半頃起きておっちゃんのお母さんの作った朝食を頂く。この方も初めてお会いするけど感じの良い人でほっとする。ある事情で結婚式には出席できないと聞いてた。新婦のためにも出席して欲しいと思うも、僕が何か言えるような事情ではないので(他人だからこそ言えそうな気もしたけど)お礼を言って家を出る。おっちゃんに「式に来ませんか、と言ってみても良かったやろか」と聞くと「今から来る言うたらややこしなってたわ」と言われそれもそうかと思う。
新婦の妹が京橋のホテルまで車でおばさんを迎えに行くというので駅まで乗せてもらう。妹さんも当時中学生くらいだったけど、そのまま大人になってる感じであんまり違和感がなかった。そんなもんかと思う。当時から新婦と真逆のはっきりした性格でおもろい子やったけど、おっちゃんいわく、今はすごく頼りになるそうで、新婦の支えにもずいぶんなってくれたそう。駅で、また後で、と別れる。
そのまま環状線で天王寺へ行き、12時から15時まで建築学科の同期と飲む。天王寺はめっちゃ変わっててちょっと迷う。昔のことやら仕事のことやらわいわいと話す。ビールは一応一杯で止めとく。設計事務所をやってるのが自分含めて3名、設計事務所で勤めてるのが1名、公務員が1名。たまたま集まったメンバーが設計事務所系だっただけなんやけど、一緒に結婚式に参加する公務員の連れは「みんな前に進んでて凹むわー」と言ってた。必要に迫られてる部分で前には進んでるやろけど基本的にはそんなに変わってない、この連れも自分の必要に迫られてる部分で前には進んでるはずやし、気持ちは分かるけど凹む必要は全然ないと思う。他にやりたいことないんやったら胸張ったらええねん。
その後阪和線とかを乗り継いで深井の式場へ。結婚式と披露宴。新婦がめっちゃ幸せそうでめっちゃ泣いた。連れが横にいる手前こっそりめっちゃ泣いた。前日、おっちゃんと話してる時にも、一時は新婦が死んでまうんやろか、と思った時期があったそう。僕もそういう心配をしたことがある。素直でまっすぐで優しすぎる子やから死ぬようなことを背負い込んでしまったんやけど、まっすぐゆえに乗り越えてくれへんやろか、という期待はあった。だけど、いつまで続くか分からんのは正直つらいやろうと思ってた。それが、今はほとんど大丈夫になってるそう。新郎は友達の時から、苦しい時にずっとそばで寄り添ってたみたい。その明るく優しそうな旦那の横に幸せそうな新婦とそれを心から喜んでるたくさんの人が囲ってる。ここで泣かんでどこで泣くねん。新婦にはおめでとうの言葉しか見つからんし、新郎にはほんまにありがとう、の言葉しかみつからん。おっちゃんに言ったらそんなもんちゃうわ、って言われそうやけど、ほんまに半分親みたいな気持ちや。前の日におっちゃんが亡くなったおばちゃんのことを「あいつ、今生きてたらめっちゃ幸せになってんで」と言ってたのが頭をよぎったけど、その時はとにかく祝いたい気持ちを優先させた。おばちゃんにもめちゃめちゃお世話になったんや。亡くなる1ヶ月くらい前に東京まで電話くれて応援してくれたんやけど、ちょっとした愚痴に違う答え方できたんちゃうやろか、と悔やむ時がある。おっちゃんがそういう後悔を絶対口に出さへんから、なんか申し訳なくて出さんようにしてるけど。
それでも、ほんまにめっちゃおめでとうやわ。
式場についたとき若い男に「◯田さん?」と声を掛けられる。新婦と一緒にサークルに遊びに来てた当時小学生の男の子やった。式の後はサークルのメンバーでと飲むつもりやったんで「お前も来る?」と聞いたら意外にも「いきますー」との返事。この元小学生、それなりの歳やのに最近プロボクサーになったらしくて驚く。
式が終わってから、一緒に天王寺へ戻ってサークルの飲み会へ。懐かしい面々と12時くらいまで話す。こういう気を許した飲み会っていつ以来やろか。12時ころまで飲んでから鶴が丘で予約したホテルでとりあえずチェックイン。連れが泊まりに来いや、といってくれてたけど、嫁に「ちゃんとホテルに泊まって」とさんざん釘を刺されてたのでとりあえずホテルをとった。(前の日はおっちゃんちに泊まったけど)。荷物を置いて、長居の連れの家まで歩いて行き、連れと自分と元小学生でぼちぼち飲む。そして適当な時間にまたホテルまで歩いて帰って寝た。
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6/17 ぎりぎりまでホテルで寝て10時にチェックアウト。この日は飛行機までの間特に予定を入れてなかったんやけど、西田辺の昨日最後までの飲んだ連れの実家に挨拶には行きたいと思ってた。そしたらその連れが「明日昼まで日曜参観に行って俺はおらんけど、先に実家行ってあがっといてや。親戚やらなんやら集まってるけど」というので従うことに。
記憶をもとに歩いて行ったら自宅を発見。こちらも学生時代にさんざんお世話になった懐かしいおっちゃんとおばちゃん、あと知らないたくさんの人がいる。最初おっちゃんが「◯田さん?知らんなー」と(多分)おっちゃんらしいボケで歓迎してくれる。おばちゃんが「天気よーなったから親戚みんなで長居公園で遊ぶねん。カズヤ(連れ)も後から来るから◯田さんもきーや」と誘われて従うことに。公園でおにぎりやらたこ焼きやらをよばれたり、連れの家族(嫁さんも友達)とボーっと過ごして14時ころに別れて飛行機で鹿児島に帰ってきた。大阪では久しぶりの過ごし方をしたけれども、やっぱり鹿児島に帰るとほっとする感じがした。
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久しぶりの大阪。学生時代を過ごしたということもあって、気を許せる人たちと過ごせた。思い返せば、けっこう知らない人の間にしれっと入っていくような場面があったけれども、大阪ならではのノリと人への信頼があったからできるんだろな、と思う。
大阪では「大阪弁」で「◯田」として振舞っていることと、鹿児島では「鹿児島弁」で「(多くは)某ノケンさん」として振舞ってることの違いがあって、結構キャラも違う気がする。どっちがどうと言うことじゃないけど。
とにかく、今回もいろんな人のお世話になった。甘えさせてもらった分しっかり返さないとと思うけれども、まずは、自分がしっかり生きてくことがお返しだと思ってる。また、頑張る理由が増えた気がする。
まー、おっちゃんとおっちゃんには何かおいしいもの一杯送らなな。
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2,3日に一度は書くべ、というくらいにした方が続きそうだな。
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ここ数日は現場で厨房機器の打合せをしたり、3Dでの検討を進めたり、嫁さんの誕生日だったり。
厨房機器の予算は別に見てるとのことでほっとした。予算的にはなんとかメリハリつけてできそうだ。
ロゴ等のグラフィカルな部分と椅子などの家具の依頼をしないとな。
一番の悩みどころは天井をどうするか。750ほどの懐があるので天井をはがしてしまえばそれなりの天井高さになるのだけれども、それをどう考えるかなかなか決めきらない。現状の天井高さ2550ほどのところを客席部分の床を450ほどあげようかと思っているけども、それだと天井高さ2100のぐっと抑えられた天井になり、なおかつ排煙部分のみ残そうと思っているサッシとの連続性がいい。10坪ほどの狭い空間なので逆に抑えてしまったほうが建築的には面白い空間になりそうだけども、それがお客さんに受け入れられるか怖いところでもある。
なやむ。
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FKPをどうするか。6/11はすでに過ぎてしまった。イベント的なテンションを生み出せるか若干不安が残る。9/11スタートに切り替えるべきかどうか。うーむ。