日  記

某ケンノートを再び

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6/15,16,17と大阪に行ってきた。

気を許せる昔の友人やお世話になった人と会って久々にリフレッシュ。

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6/15 飛行機が少し遅れて4時ころに京橋に到着。新婦のお父さん(以後おっちゃん)と待ち合わせる。ちょうど沖縄からおばさんが来るとのことで一緒に待ち、到着後ホテルの喫茶店で3人で雑談。昔写真を見せてもらったことがあるおばさんでとても感じの良い人だった。その後おっちゃんと焼肉屋へ。塾をしてるおっちゃんの教え子家族(僕の一つ上)も合流。昔話やら何やらで過ごす。おっちゃんはたくさんの教え子に慕われてるのは知ってたけど、一緒に話してみておっちゃんが積み上げてきたものの豊かさに羨ましくもなる。新婦の兄が来る予定だったけど仕事の都合で来れずに残念。いろいろ問い詰めたいことがあったんやけど。11時頃お開きでおっちゃんと二人で自宅へ。おっちゃんのお母さんが寝てたのですぐに就寝。

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6/16 8時半頃起きておっちゃんのお母さんの作った朝食を頂く。この方も初めてお会いするけど感じの良い人でほっとする。ある事情で結婚式には出席できないと聞いてた。新婦のためにも出席して欲しいと思うも、僕が何か言えるような事情ではないので(他人だからこそ言えそうな気もしたけど)お礼を言って家を出る。おっちゃんに「式に来ませんか、と言ってみても良かったやろか」と聞くと「今から来る言うたらややこしなってたわ」と言われそれもそうかと思う。

新婦の妹が京橋のホテルまで車でおばさんを迎えに行くというので駅まで乗せてもらう。妹さんも当時中学生くらいだったけど、そのまま大人になってる感じであんまり違和感がなかった。そんなもんかと思う。当時から新婦と真逆のはっきりした性格でおもろい子やったけど、おっちゃんいわく、今はすごく頼りになるそうで、新婦の支えにもずいぶんなってくれたそう。駅で、また後で、と別れる。

そのまま環状線で天王寺へ行き、12時から15時まで建築学科の同期と飲む。天王寺はめっちゃ変わっててちょっと迷う。昔のことやら仕事のことやらわいわいと話す。ビールは一応一杯で止めとく。設計事務所をやってるのが自分含めて3名、設計事務所で勤めてるのが1名、公務員が1名。たまたま集まったメンバーが設計事務所系だっただけなんやけど、一緒に結婚式に参加する公務員の連れは「みんな前に進んでて凹むわー」と言ってた。必要に迫られてる部分で前には進んでるやろけど基本的にはそんなに変わってない、この連れも自分の必要に迫られてる部分で前には進んでるはずやし、気持ちは分かるけど凹む必要は全然ないと思う。他にやりたいことないんやったら胸張ったらええねん。

その後阪和線とかを乗り継いで深井の式場へ。結婚式と披露宴。新婦がめっちゃ幸せそうでめっちゃ泣いた。連れが横にいる手前こっそりめっちゃ泣いた。前日、おっちゃんと話してる時にも、一時は新婦が死んでまうんやろか、と思った時期があったそう。僕もそういう心配をしたことがある。素直でまっすぐで優しすぎる子やから死ぬようなことを背負い込んでしまったんやけど、まっすぐゆえに乗り越えてくれへんやろか、という期待はあった。だけど、いつまで続くか分からんのは正直つらいやろうと思ってた。それが、今はほとんど大丈夫になってるそう。新郎は友達の時から、苦しい時にずっとそばで寄り添ってたみたい。その明るく優しそうな旦那の横に幸せそうな新婦とそれを心から喜んでるたくさんの人が囲ってる。ここで泣かんでどこで泣くねん。新婦にはおめでとうの言葉しか見つからんし、新郎にはほんまにありがとう、の言葉しかみつからん。おっちゃんに言ったらそんなもんちゃうわ、って言われそうやけど、ほんまに半分親みたいな気持ちや。前の日におっちゃんが亡くなったおばちゃんのことを「あいつ、今生きてたらめっちゃ幸せになってんで」と言ってたのが頭をよぎったけど、その時はとにかく祝いたい気持ちを優先させた。おばちゃんにもめちゃめちゃお世話になったんや。亡くなる1ヶ月くらい前に東京まで電話くれて応援してくれたんやけど、ちょっとした愚痴に違う答え方できたんちゃうやろか、と悔やむ時がある。おっちゃんがそういう後悔を絶対口に出さへんから、なんか申し訳なくて出さんようにしてるけど。

それでも、ほんまにめっちゃおめでとうやわ。

式場についたとき若い男に「◯田さん?」と声を掛けられる。新婦と一緒にサークルに遊びに来てた当時小学生の男の子やった。式の後はサークルのメンバーでと飲むつもりやったんで「お前も来る?」と聞いたら意外にも「いきますー」との返事。この元小学生、それなりの歳やのに最近プロボクサーになったらしくて驚く。

式が終わってから、一緒に天王寺へ戻ってサークルの飲み会へ。懐かしい面々と12時くらいまで話す。こういう気を許した飲み会っていつ以来やろか。12時ころまで飲んでから鶴が丘で予約したホテルでとりあえずチェックイン。連れが泊まりに来いや、といってくれてたけど、嫁に「ちゃんとホテルに泊まって」とさんざん釘を刺されてたのでとりあえずホテルをとった。(前の日はおっちゃんちに泊まったけど)。荷物を置いて、長居の連れの家まで歩いて行き、連れと自分と元小学生でぼちぼち飲む。そして適当な時間にまたホテルまで歩いて帰って寝た。

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6/17 ぎりぎりまでホテルで寝て10時にチェックアウト。この日は飛行機までの間特に予定を入れてなかったんやけど、西田辺の昨日最後までの飲んだ連れの実家に挨拶には行きたいと思ってた。そしたらその連れが「明日昼まで日曜参観に行って俺はおらんけど、先に実家行ってあがっといてや。親戚やらなんやら集まってるけど」というので従うことに。

記憶をもとに歩いて行ったら自宅を発見。こちらも学生時代にさんざんお世話になった懐かしいおっちゃんとおばちゃん、あと知らないたくさんの人がいる。最初おっちゃんが「◯田さん?知らんなー」と(多分)おっちゃんらしいボケで歓迎してくれる。おばちゃんが「天気よーなったから親戚みんなで長居公園で遊ぶねん。カズヤ(連れ)も後から来るから◯田さんもきーや」と誘われて従うことに。公園でおにぎりやらたこ焼きやらをよばれたり、連れの家族(嫁さんも友達)とボーっと過ごして14時ころに別れて飛行機で鹿児島に帰ってきた。大阪では久しぶりの過ごし方をしたけれども、やっぱり鹿児島に帰るとほっとする感じがした。

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久しぶりの大阪。学生時代を過ごしたということもあって、気を許せる人たちと過ごせた。思い返せば、けっこう知らない人の間にしれっと入っていくような場面があったけれども、大阪ならではのノリと人への信頼があったからできるんだろな、と思う。

大阪では「大阪弁」で「◯田」として振舞っていることと、鹿児島では「鹿児島弁」で「(多くは)某ノケンさん」として振舞ってることの違いがあって、結構キャラも違う気がする。どっちがどうと言うことじゃないけど。

とにかく、今回もいろんな人のお世話になった。甘えさせてもらった分しっかり返さないとと思うけれども、まずは、自分がしっかり生きてくことがお返しだと思ってる。また、頑張る理由が増えた気がする。

まー、おっちゃんとおっちゃんには何かおいしいもの一杯送らなな。