日  記

某ケンノートを再び

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模型の助っ人で古巣へ。8年もいたので居心地がいい。

とある公共施設の設計は途中で見せてもらった時はけっこう良い感じだったけど、デザイン的な変更を何度も指示されて平々凡々な感じに。平凡が悪いというよりはデザイン的な思考の後を全て消された感じ。もったいない。

餅は餅屋に、だと思うのだけれども、餅屋として信頼されていない。けっこういい餅つきだったのにな。

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フットサルで膝の痛みが引かないので始めた軽いスクワットと腹筋と腕立て。今日で4日目。とりあえず嫁の3日坊主宣言は超えた。

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フェイズブックでも軽いプロレスがちらほら。プロレスという前提が共有されてないと感情の応酬になりがち。様々な視点を広く集めるのには向いてるけれども、対話によって深めていく、というのは伝わるj情報量の差からやっぱりまだ直接会ってのコミュニケーションには劣るのかな。そういう前提をある程度共有している間では可能なのかもしれないし、出来る人もいる。。やるなら、プロレス。

とは言えT犯氏の言うプロレスの真意はまだ掴めず。氏はずるいくらい優しいからなー。

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本を読んだり、言葉にしたり。

一部の人にはこいつ言葉ばっか、と思われてるように思う。

それは本当なんでしょうがないし、僕も言葉を必要としてるのでしょうがない。

 

僕が本を読んだり言葉にしてみることの多分98%以上は建築としての引き出しを育てたいから。

僕にとって育ててる言葉の大部分は空間イメージのトリガー。

気になる言葉があれば、本を読んだり文にしたりで、なるべくその言葉に密度のあるイメージを埋め込んでいく。

敷地を見ながら、要望を聞きながら、プランを組み立てながらいろいろなトリガーを引く、もしくはトリガーを引くきっかけを待つ。

その中から、すっと落ちるイメージが出てくるまで。

そのイメージをガイドに空間を実際のモノに置き換えていく。置き換えていきながらまたトリガーを探す。

 

僕は天才ではないから、こういう道具が必要。だから使えそうな言葉を集めてそれにぎゅっと詰めこみたくなる。

もしかしたら、それは実体験の少なさをごまかすものかもしれないし、トリガーによるイメージそのものは具体的なモノと直接結びついているものではないから、それをどうモノへと結びつけていくのかを考え体験として身に着けてかないといけない。

ただ、同じようなものを読み、同じような言葉に触れ、同じようなトリガーを集めていると、みんな同じような方向を向いてしまうという傾向はあると思う。

建築書なんかのほとんどはトリガーとしての価値を持つから需要があるのだと思うし、ある人々にとって価値ある「建築家」とはおそらく新しいトリガーを提出できる人なのだろうし、真面目な多くの人はこのトリガーをずっと探し求めてるのだからこの傾向も仕方がないようには思う。

真似することが悪いわけではないし、誰もが新しいトリガーを提出できるわけではない。

だけど、やっぱり自分に一番あったトリガーを生み出したい、という気持ちはあるし、例え仕入れたトリガーであってもしっかり磨いて自分なりにきちんと使いこなしたい。

 

俺、言葉ばっかじゃん、と焦る必要はない。じっくりやろう。

そのために多くの言葉はこっちに吐き出してみよう。と思うのれす。